ボーイスカウト横浜第95団は、横浜市緑区のJR鴨居駅を中心として、地元自治会後援のもと、日々、活動を行っています。ぜひ、私達のことを知ってください。そして、仲間になりませんか。
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2020年9月27日日曜日

2020/09/27(日)カブ隊/鴨居史跡めぐりラリー・救急法

カブ隊と、体験入団中のスカウトで、3km程度の短い距離のラリーを行いました。鴨居地区の史跡をめぐるラリーです。

赤チーム、白チームの2班にわかれて、別ルートを歩きました。

スカウトに地図が渡されましたが、ルートが書き加えられている部分と、空白の部分があります。空白の部分は、追跡ハイクです。進路を示すマークや手掛かりを探しながら進んでいきます。

追跡ハイクの目印は地面にチョークで書かれていました。

チョークの矢印なのですぐに消えます

また、隊長から「地図に曲がり角や横断歩道などの目印を書き込む」という課題も出されました。

私達今ここ?こっちから来たっけ?この角に何があったっけ??

ポイントのひとつは鴨居6丁目の「女神像地神塔」。


もうひとつのポイントは、「鴨居小学校発祥の地石碑」。


ポイントに到着したら、それぞれのチームで、クイズや暗号にチャレンジしました。

お・た・か・ら探しクイズ!

お・た・か・らの文字を探して、線でつなぐと・・・


文字をつなぐと数字の7に。

暗号クイズ!鍵をさがして暗号を解け!

漢数字と数字の組み合わせがいくつも書かれた紙を渡されて、必死で考えるスカウトたち。体験入団スカウトたちも暗号解読に一生懸命です。

リーダーが「解けないの?」とウロウロしています。「とけないなら、カギをさがさないとね」「まだみつからない?」

スカウトたちはカギをさがしはじめ、周辺をさがしたり、もらった地図をひっくり返して探したりしています。落ち葉の吹き溜まりを足でほじって探し始める子も。

「あった!」「なんで持ってるの!?」同行の保護者の方が、カギの絵の付いた封筒を持っていました。

封筒の中には暗号のカギ、暗号表が入っていました。数字の組み合わせを暗号表で確認しつつ並べると、

「そ・な・え・よ・つ・ね・に」になりました!

時間差はありましたが2班とも無事ゴールの公園に到着。

野営場に行くまえに、公園でみんなで缶蹴りをしました。

鬼にみつからないように茂みの影を低い姿勢で移動・・・

公園の斜面にまで隠れて忍者のようににステルスなスカウト

みんな捕まって残り一人になったとき、鬼が缶から離れたすきに、最後の一人が「うぉーーーっ」と雄たけびを上げながら茂みから走ってきて、見事缶を蹴りました! 全員解放!

「今のゲームの殊勲賞は◎◎くんだったね!」とほめられて「えへへ・・」とまんざらでもない様子でした。

でも殊勲スカウトは、そのあとのゲームで「誰も捕まってないのに、缶を蹴ろうと走り込んできて、鬼に簡単に捕まる」という謎行動()をしてました・・・。


ゲームのあとは全員で野営場に移動。

ここで、簡単な救急法を実習しました。

怪我したら「まずは止血」の大事さを学び

手近なチーフを利用して、包帯代わりや三角巾がわりにしたり、

被災時に履物が無いときに役立つ「段ボールを下敷きにした簡易スリッパ」を作ったり。


最後に、来週のグリーンラインラリーの準備をしました。


カブ隊1組、げーんき!


追記:ちょっとだけ史跡の説明を・・・・

女神像地神塔(めがみぞうじしんとう)」横浜市指定有形文化財(石造建造物)。

大地の神様の「地神」は農耕神でもあり、江戸時代から明治にかけて民間信仰の集団「講」により、地神を祀った地神塔が建てられました。神奈川、香川、岡山県に多いそうです。

地神塔は文字が刻印されただけのものが多く、神像の彫像があるのは珍しいそうです。また彫像の場合は武神(男神)がほとんどで「女神像地神塔」のような女神像は稀少だそうです。



鴨居小学校発祥の地」石碑

鴨居小学校はこのエリアで最も古い学校です。その前身は江戸時代末期に大川熊太郎氏が開いた私塾の大川塾(1852(寛永5)年)で、明治政府の学制により1874(明治7)年に「鴨居学舎」として開校しました。この石碑がある大川邸の場所に1878(明治11)年まで学校がありました。
鴨居学校→公立小学鴨居学校→都筑郡尋常鴨居小学校→鴨居尋常小学校→横浜市鴨居尋常小学校→鴨居国民学校と何度も名称を変え1947(昭和22)年に「横浜市立鴨居小学校」になりました。校舎の場所も、大川邸→東通り→中里→駅前通り→そして現在の校舎と、何度も移転しています。

参考資料: 鴨居小学校沿革 (大川邸時代からの各校舎の間取りも載ってます)


ごはん塚緑区遺産

95団の野営場の入り口でおなじみ!のごはん塚。

鎌倉時代の武将畠山重忠は、「武士の鑑」と称えられ、源頼朝に信頼されて鎌倉幕府設立にも尽力した武将でした。しかし北条氏の権力独占と有力御家人排除の動きに巻き込まれ、1205年「二俣川の戦い」で北条義時の軍に敗北し鶴ケ峰付近で討ち死にしました。旭区には重忠の首を埋葬した首塚などがあります。

敗戦した家臣たちは故郷の深谷(埼玉)に逃げ帰ろうとしましたが、北条氏の追撃にあい次々に討ち取られました。旭区から鴨居にかけて5つの塚があったといわれています(現存はここのみ)。

ごはん塚という名前の由来は、「5つの塚があったから」「ご飯を盛ったような盛り土の塚だから」「ごはん時で油断しているときに討ち取られたから」等、所説あります。

参考資料: 緑区遺産No.6ごはん塚